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005:さようなら、意味のない争い2019

2019年が始まった。今年は、すべてお前の勝ちでいい。お前は強い。お前が勝者、お前の優勝だ。お前のケツは誰よりも赤い。歴戦の証。すばらしい。けれど、僕の尻はそんなにも赤くはならないし、なりたくもない。そして、そんな局地戦に興味はない。一生お前は勝ち負けだけを考えておけばいい。僕は寂しくもない。僕にいま必要なのは、血でもなく、ぬくもりでもなく、ムード。そう、ムードさえあればいい。だから、このムードを壊さないでくれ。ムードは姿も形もないし、いとも簡単に壊れる。お前の局地戦に付き合って、ムードを壊させるようなことはしてはならない。ムードがなければ、人は争い始めるか、まぐわい始めるかしかない。甘いムード、それは別に恋だの愛だのためだけにあるのではない。素敵なムード。足りなくなったら、誰かのムードを取り入れて、そしてまた空洞の中はムードで満たされる。心地よくて、何かを作り出そうと思えるような、自由なムード。そういうものを大切にする、2019年にしたい。

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003:UXでもUIでも何でもいいからUをプロセスに取り込む

先日のエントリ( 002:制作物に対する客観性(追記有り) )について、タイトルに「追記有り」とあることからもわかる通り、致命的な欠落があったため少し加筆してある。その加筆内容とは、端的に言うと 「ユーザー目線が不在のままデザイナーとクライアント(意思決定者)と綱引きしてたって何の意味もない」 という話であり、これについては猛省が必要だと感じている。 とはいえデザイナーやクライアントが「いやユーザーはこう思うはず」だとか言い合っていても仕方ない。実際にエンドユーザーに触ってみてもらってフィードバックを求めていくのが最もユーザー目線の実現に近いのでは無いかとは思う(と言いつつも、他方でテストユーザーが「正解」を持っているわけでもないだろう。こういったフィードバック型の「カイゼン」では問題解決は行えるだろうが、そもそもの問題設定でミスる可能性は往々にしてあるのだが、そういった懸念については今回は保留しておこう)。 ということで、ユーザーテスト以外で、サービス開発のプロセスにユーザーを取り込む方法を探してみたのだが、UXのKPIを初期段階で設定するというやり方を発見した( UXのKPIを設定しよう!~ ユーザー体験の定量化ってなぜ必要? ~ )。UXKPIとズラッとかくとギョーカイ人しかわからない感じになるが、要は「 サービスの中でユーザーが最低限体験して欲しいところを予め決めておいてその達成率を見ていきましょう」 という話かと思われる(上記エントリ内では 〈「これさえ見ておけば良質なユーザー体験が提供できている」という指標 〉 と述べられている。ではそのUX-KPIとは具体的にはどういったものが挙げられるだろうか。下記は上記エントリ内で挙げられている例である。 「週3回以上タスクをシェアしたユーザーの割合/月」(タスクシェアアプリのケース) 「購入した上で、15日に1回以上ログインし続けているユーザーの割合」(アパレル系ECアプリのケース) とはいえ、UX-KPIを導入しただけでは以下のような課題は残るだろう。 そのUX-KPIはどれぐらいあれば適正なのか? そもそもそのUX-KPIの達成がそのまま良いユーザー体験を意味するのか? UX-KPIが目標値に届かない場合の原因の特定はいかにして行われるのか? そもそもファンダメンタルな価値をその

002:制作物に対する客観性(追記有り)

今まで動画編集・印刷物・ウェブと様々なクリエイティブに携わってきたけれど、手がける制作物の形式は違えど、いずれにおいてもデザイナーとして制作する以上、制作物に対しては客観的な視座を保ち続けていなければならない、というのは頻繁に感ぜられるところであった。そして、その客観性を維持することの難しさも、また同様に日々の業務において痛感するところである。 さて、この「制作物に対する客観性」という課題に関して、孫引きのような形にはなってしまうが、 〈ビジネスの限界はアートで超えろ!〉 (増村岳史、2018)という本によると、1964東京五輪のポスター等で著名なデザイナー・亀倉雄策は、以下のようにコメントしていたという。 アーティストは自分の身体の中にあるすべての思いや感情を吐き出し表現するのが仕事であり、それゆえに作家なのである。デザイナーはあくまでクライアントの課題を解決するのが仕事であるので制作物に作家性を1%でも入れたのであればデザイナー失格である。 東京オリンピック 1962 「亀倉雄策|クリエイター | クリエイションギャラリーG8」 より ここでは「作家性」という言葉を「デザイナーの趣味嗜好≒主観性」と捉えても差し支えないだろう。一聴するとラディカルに聞こえなくもないが、しかしながら実際の制作において、亀倉氏の言うように、求められていない作家性を持ち込んだがゆえに、クライアントの承認が得られないということは往々にして起こる。 また、「それからデザイン」の代表をつとめる佐野彰彦氏は自身のブログ記事 (仕事の客観、仕事の主観) の中で以下のように述べている。 プロのデザイナーというのは、商品やクライアントを「客観視」する訓練を受けていて、どんな案件でも一定以上のクオリティーを出すことを求められています。市場にコンシューマーに「売る」という単純明快な成果目標の中に組み込まれていて、デザインの対象を好きとか嫌いという視点で見ることより、徹底して「外側から見る」ことをしています。 やはりデザイナーである以上、製作者の嗜好に対して「客観性」が常に優先されている、という点に言及している。この点に関してはアーティストではないデザイナーである以上共有される視座だと考えてよいだろう。しかしながら、他方で氏は同エントリの結びで以下のよ